TCB創業~、そしてこれから目指すところ

話をTCBに戻して、井上君がTCBを創業してから今日までの道のりを本日はご紹介します。「はじめちゃん一代記」、スタートです。



TCB設立・・・


WKS: 話は前後するけど、そうやって何社か児島で渡り歩いて、いよいよTCB設立と。何か目途があったの?

TCB: いや、この時も何もなかったですよ。それでも、自分で「今だな」と思って。

WKS: 正直、君を知る人、私含めてほとんどが「やっていけるの?」って心配してたよ。でも、君を良く知る人は「あいつなら大丈夫」って思ってたみたいね。

TCB: 矢部さんみたいに、僕のちゃっかりしてる部分を知ってる人は何とか成るんじゃない?と楽観的に見てくれていました。

WKS: でも最初は一人でしょ?仕事はなにやったの?

TCB: 設備はそろっているけど、いきなり製品を作る仕事はいただけないのでまずは部分的な縫製の仕事です。それこそ革つけや加工のリメイクから・・・

WKS: 児島の生産方法について詳しくない人にここで解説。児島はじめ、西の地方では「組縫い」と呼ばれる部分的に外注に縫製を出すという生産形態があります。革つけというのが、革パッチ、紙パッチ等が洗い加工でダメに成らないように洗い加工が終わってからつける仕事。リメイクはその名の通りですが、たとえば、穴をあけて洗って加工。それから、その穴に布をあててふさぐといった物。後者は特にジーンズを縫うことに特化した工場では難しい。本来製品を形にする工場はそれに向けて、ミシンのレイアウト、人の配置をしています。そういう工場でリメイクをやろうとすると何もすることが無い、手空きの人が出てしまうためです。

TCB: なので、一人しかいないからこそできる仕事から始めました。当時は家でやってましたね。

WKS: その後、徐々に近所の人に一人、二人と手伝ってもらうようになり移転と。

TCB: 今の大きな仕事場の前にもう一件借りていました。魚屋の横の・・・

魚屋の横時代。


WKS: そう、あの刺繍屋さんの下のね。

TCB: その頃、今「TCBの専務」としていつも登場する彼も入社して。彼っていってるけど最初の会社の先輩なんですけどね。

左が専務、右がTCB井上君。まだ細い・・・か?
どう見ても民家っぽい床の間の前にペデスタルの巻き縫い。
やばい工場感がむんむん出てます。


WKS: 専務は井上君とは全くキャラが違うよね。寡黙で、几帳面で。

TCB: その点は本当にありがたいです。始めた当時は自分でミシンを踏んでばかりいましたが、徐々に営業もしないといけない。そうすると、生産を自分と同じ目・同じレベルで見てくれる人が要る。そんな時に、専務には本当に助けられました。

WKS: ある意味、専務の几帳面さは君以上だしね。それが会社として、自分以外の人と一緒にやる良さだね。自分の能力をある部分では超える人と一緒にやれる。で、さらに今の仕事場に移転はどうして?

TCB: その魚屋の横も徐々に狭くなってきて。次を探し出してみると、児島でも広い所はそれなりに賃料がかかる。そんな時、付き合いのある銀行さんから出物を教えてもらえて。これなら、賃料とほとんど変わらない金額で場所が手に入る事に。

WKS: ただ、どこまで行っても当時はOEM(相手先ブランドの製品を作る)言えば、製造の仕事。それがどうしてTCBに?

TCB: 最初のきっかけは知人が「児島でイベントがあるから出てみない?」でした。出るからには何か製品作ろうよという話になり、生地1反分をオリジナルの製品として縫って販売してみました。

まじめに裾上げをこなす井上社長。
恰好はどっから見てもふざけてますが。

専務・・・かな?こちらの方がだいぶ綺麗目。


WKS: 売れた?

TCB: いきなり、数本は買っていただけました。それで、手ごたえを感じつつもやるならもう少し本気でと思い、舘野さんに撮影機材の事とか聞きに行ったんです。

WKS: WORKERSは何も隠さないからね。井上君も良い機材使って、自分の伝えたいこと伝えて。WORKERSも同じようにやって、そのうえで何がお客様に伝わるか。選ぶのはお客様だからね。

TCB: それもあるけど、単純に舘野さんはおたくだから撮影機材にしろ、何にしろすぐ凝るし、それを人に教えようとするんですよ。いわゆる「開放的オタク」ですね。良い物は人と共有したい、伝えたい。それがWORKERSの良さだと思います。

WKS: 褒められると恥ずかしいね。


TCBのこれから・・・



海外から取材が来たり、すっかり有名に。
確かに、考えれば量産しつつブランド・メーカーとしてもやっている児島のジーンズブランドは少ない。

WKS: TCBとしていろいろ製品作ってみて、これからの展望とかこうなりたいとかは?

TCB: シンプルに「作って売る」です。うちはあくまで「製造メーカー」です。自社で作れないものには手を出さない。そのうえで究極の目標は「作っているところが見えて、そこで買える」。海外のImogine Willieもそうだし、日本で言えばジャンルは違うけれど家具のTRUCK。あんな風に、作ってる人がふらっと歩いていたり作業してる。その横にショールームがあって、製品を買える。そんな風になりたいです。

目標に向けて、工場見学を企画したり地道に一歩づつ頑張る井上社長。
ボーダーTシャツがWORKERSのXL相当でもきつくなりつつあるのは秘密。
今後も長く続けるためもう少し痩せてください。
WKS: それは今の児島で?

TCB: そうです。難しいのはわかっていますし、地理的には同じ児島でも駅前に近い方が良いなとか、ジーンズストリートにお店があればなとか思う時もあります。でも、この駅からも遠い、元家具屋さんの倉庫だったこの場所でジーンズを作り販売したい。その思いが、季節ごとにやる工場見学会だったりと活動につながっています。

WKS: という事は、今回のポップアップショップはその第一歩と。



TCB: もちろん「縫ってこそのTCB」なので、ミシンは持っていきます。裾上げミシンだけですが。もし、そこで興味を持ってもらえたら是非ブログを見てください。毎日の僕らの生産背景を紹介しています。もし、児島に来ることがあれば是非、工場にも足を運んでみてください。昔から、「ジーンズの工場見てみたい」って思いましたよね?

WKS: そうね。でも、見せてくれない。

TCB: もちろん、対応が出来ないとか、クライアントからいただいている業務内容の秘匿。そういう問題はありますが、自分は、ジーンズが好き、だから工場が見てみたい。そんな人の気持ちに答えたたい。自分もそうだったから。そういう青い部分があるんです。

WKS: その青い部分が君の良さだから、それを大事にこれからもお互い頑張ろう!


WORKERS・証言者鎌田さん編

WKS: WORKERS舘野を縫製業の世界に受け入れてくれた現カマダJPN社長(旧専務)に登場していただきます。さっそくですが、舘野を初めて見た時の印象はどうでしたか?

KMD: 初々しかった。色が白いな~と。

WKS: だいぶ猫かぶってましたからね。その後、実際仕事をするようになってからの印象は?

KMD: やはり、「これがやりたい」という目的意識がはっきりしているので技術的な面にせよ、飲み込みは早かったね。

WKS: でも、人生初の就職で正直、世の中の仕組みがまったくわかってなかったので社長にはいろいろ教えてもらいました。たとえば、物持ってく時には納品書を必ず書けよから始まり。

「俺は裏方だから出ない!」っていつもおっしゃるので後ろ姿で。
お互い年取りましたね・・・


KMD: 持って行ったら、ただ置いてくる・持ってくるだけじゃなく内容を確認しながら積み下ろしするとかな。

WKS: 「物持って行って帰って来るだけなら佐川急便だって、クロネコだってできる。お前が持ってかないといけない理由を考えろ!」って怒られましたからね。今思えば、社長も若かったので色々と怒って教えてもらいました。当時と比べると、やっぱり今は指導が少ないような・・・

KMD: 教えるのって、どうしても必死になるし、時には声が大きくなることもある。でもそれは、言ってもついてくる君だからこそ言った部分もある。後は必死に教えるのって疲れるからな。お互い、君も若くて色々吸収したい。俺も40代半ばで一番必死だった時。タイミングが良かったんだな。

WKS: だと思います。会社でも、それこそジーンズひっくり返すのから裁断の手伝い。縫い工場とのコミュニケーション。縫いあがった製品を最後、ボタン打ったり、洗ったりといった工程の手配から出荷まで。全部させてもらえたのが今、本当に自分の物作りの力に成っていると感じます。

KMD: 技術的な面とか、盗める部分は大いに盗んでくれれば良いと思っていたからね。

WKS: パターンCADも、最初にとっかかりで使わせてもらったのは会社でした。

KMD: ちょうど良いタイミングで前任者が居なくなって、そんな時、君はパソコン系は元々使える。そこに来て、パターンの知識もある。君にとっても学べるチャンスだけど、会社にとっても適任者だった。お互いに、利害が一致して良い関係だったんだよ、本当に。

WKS: 舘野の良い面、悪い面ってどんな部分でしたか?

KMD: 繰り返しに成るけれど、やっぱり縫製的な面、さらにコストの面、各工場の得手不得手。そういうのがわかったうえで、自分で仕事を取ってこれる所がすごいなと思ったな。悪いというのは、ある意味、良い面の裏返しでもあるのだけど、「是は是、非は非」がすごくはっきりしている性格だからたとえ、お客様であっても、非があれば受け入れられないという部分かな。でもそれは、俺もそういう部分があるから。


今頃、ちょうどうちのサンプル縫ってるはずですが、この日はお盆前なのでやっていなく。
なので、やらせ写真です。勤めてた頃は毎日こんな感じでした。
サンプル縫う人の邪魔をしに順番の指示とか、縫う時のポイントとか伝えに行ってました。
サンプル縫いの横に一人一台作業台置くレイアウト考えてみたり。
サンプルの手を付ける順番を一覧にするホワイトボード+マグネットシートの仕組み考えて、ホワイトボードを中古道具屋に買いに行ったり。
そうやって、試した工夫で、作業が早くなって、サンプルの売上が上がって。
試行錯誤が楽しかったです。

WKS: WORKERSとして独立させてもらう時は、うまく行くと思っていましたか?

KMD: うん、少なくとも俺は思ってたよ。在庫大きくかかえたり、お店だしたりって無理をしないで、小さなところから一歩づつやってたからね。

WKS: 最後に、今後のWORKERSに期待することは?

KMD: 少しづつで良いので、規模を維持・拡大しながら長く続けてもらいたいね。うちもそれに応えられるよう、今後も是是非非で旧態依然にならず、常に新しいアイデアを持って頑張っていくから。

WKS: ありがとうございました!


私が7年半程勤めさせてもらい、今のところ唯一務めたカマダさん。今でもWORKERSの製品を作ってもらっています。良い事、つらかったこと、いろいろありますが、基本的にはやっぱり良い会社だったなと思います。何も知らない私を教育してくれて、給料くれて生活させてくれ。そして、独立した今でも協力してくれる。あまり、「かかわる人すべてに感謝!」とか私は言わないのです。恥ずかしいのもあるし、何か、あまりにそれを年がら年中言ってると嘘っぽくなるし。でも、こうやって過去を振り返って、今の自分の環境を考えると、現カマダ社長、前カマダ社長。もっと言えば、先代の会長がカマダさんって会社やっててくれたから私もこの世界に入れたし、今WORKERSが出来てるのです。そう考えると「会長良く縫製業はじめてくれたよな」としみじみ思って感謝するしかないのです。今は亡くなってしなったのですが、私が会社入った頃は健在で、一番最初に会長室で「君が好きな2万もするようなセルビッジジーンズ、最近はそういうのがうちの仕事の割合が増えている。でも、私が始めた頃は4800円、5800円といった物が主流だった。果たして、こういう高価格帯の製品が今後も流通していくものだろうか?」と、当時70超えていた会長に聞かれました。私は、「もちろん続くと思いますし、その価値をお客様にわかっていただけるよう広報していくことが必要です」的な事を答えましたが、心の中では「70過ぎの人が普通にセルビッジってさらっと出てくるこの地方ってやっぱり本場だな~」なんて喜んでいました。

WORKERSのこれまで

話は前後しますが、ここでTCBに会う前。WORKERS舘野何故服に興味を持ったか、どうやって児島に来たのか、そのあたりのお話です。


WORKERSの歴史編

TCB:では今度はWORKERSの番ですね。

WKS:どこから話しましょう?

TCB:まず、WORKERS舘野さんが服に興味を持ったきっかけってなんなんです?

WKS:高校時代のBOON(雑誌)かな。今でも覚えてる、たまたま高校の体育祭の日の朝コンビニで買って「今ノンエアが熱い!」だっけかな?NIKEのスニーカー見てかっこいいなぁと思ったのが最初か。高校が付属校だったので、小学校・中学校から来たお坊ちゃんが多かったんよ。

TCB:毎月24日発売のBOON。私も新聞配達のバイトの後にそれをコンビニで買うのが一番の楽しみでしたよ。WOREKRSはその学校は中学から?


日本聖公会HPより
いわゆるお坊ちゃん学校なので、こんな教会があったり。
周りはそもそも家がお金持ちってのが多くファッション的にも世慣れてました。
そんな中で服に興味を持ち、持ち前のオタクっぽい調べ方をしていきました。
(実はYMOの方がこのころはもっとはまってましたが)

WKS:私は高校から。だから、周りが持ってるグレゴリーの旧タグのデイパックやら、「父さんにもらった~」なんて言って同級生が履いている今でいうビンテージスニーカー。それらがすごくかっこよく見えて、うらやましかったなぁ。バイトもしてなかったから、絶対買えなかったし。

TCB:で、そこからどうやって服を買うように?

WKS:私服通学の学校だったのでどうしても服は要る。当時円高がすごかったのと、雑誌で個人輸入のやり方!みたいなのがあったんだよね。そこで、FAXも無いのにLLBeanやイーストベイでスニーカー買いだしたのがファッションへの芽生えかな。それから、お決まりのビンテージ、レプリカ、DCとか裏原みたいのもちょろちょろ買ってたかな、バイトするように成ってからは。

TCB:この辺の話してるとお互い、朝まで続きそうなので。で、そこからどうして洋服の道へ?

WKS:大学生の時、いわゆる就職氷河期。私は1978年生まれでTCBより二つ上だけど、バイトして自分の意思でどんどん服買えるようになったのは18から。だから、TCBが建設バイトしたりして買ってた時代とちょうど同じなんだよね。

TCB:マッコイ、ラフウェア、ラグド!そんな時代ですね。


今見ても豪華。
これを眺めながら「あれが欲しい、これが欲しい。バイト何日すれば良いかな?」なんて考えていました。



WKS:そうそう。2000年ごろで就職活動が始まるんだけど、自分としてはせっかく好きになった洋服。毎日、私服でできる仕事がしたい。でもそんな仕事、たとえば出版とかあるけどそれはそれで、元からそれをやりたい!っていう熱い人が居る。だったら、そんなに服が好きなら自分もそれを仕事にすればいいんじゃないか?と思った。当時はだいぶ情報も出てきて「自分が好きな洋服は岡山行けば作れる」とかはわかりつつあったんだけど、まずは洋服を作る基礎を知るために大学出てから文化服装学院に一年科があるんで行きました。


探しに探して唯一出てきた文化時代の写真。
最初にシャツを作った時、それを着てファッションショーもどきをした時の一枚。
自分がモデルなのですごい嫌そうな顔をしています。
どっから見ても既製品には見えないシャツしか出来ないで悶々としていたころ。

TCB:でも普通、メーカーに勤めるとか、衣料商社とかじゃなくていきなり目指すは工場?

WKS:もちろんメーカーも問い合わせたりしてみたよ。でも、良いなと思ったところは採用してなかったり。今思えば、あのままメーカーに入るより、まずは工場が正解だったけどね。工場に入れば、いろいろなメーカー・ブランドの物作りの一端を垣間見ることが出来る。それは一社のメーカー・ブランドでは出来ない事だからね。

TCB:専門学校の後はどうやって児島に?

WKS:前にも出た、TCBとWKSの共通の知人。その人に最初は井原(岡山の真ん中編・児島よりはもう少し山より)の縫製工場を紹介してもらって、夏休みには研修も行かせてもらったんだけどどうしてもその時は人手が足りていて採用には成らず。いよいよ困ったな・・・と思ってる時に「じゃぁ、もう一社。カマダさん紹介するから連絡してみたら」と言われて、専門学校の修学旅行の日だったんだけどキャンセルして採用試験受けに行ったんだよ。専門学校時代はバイトもしないで、出来る限り服作りを勉強したかったからお金も無い。修学旅行の積立金が戻ってくるのもあてにして、高速バスで岡山へ行ったんだ。

TCB:WORKERSにも岡山に来るまで紆余曲折があったんですね。では、次回そのカマダさんでWKSを面接した専務さんに登場してもらいましょう。

TCB-WORKERS 出会い編

WORKERS旧宅での一枚。2008年で写ってるのはTCB井上君
マグナムドライが泣かせる一枚
お互い、呑みに行ったりしないので唯一残っていた写真

TCB×WORKERSとの出会い編・・・


WKS: という事でやっと私と井上君の出会いだ。井上君が矢部さんと一緒に働き始めて1年ぐらいの頃かな?実はお互い、共通の知人を介して児島に来る前から「ジーパン作りたいって児島に移住したい同年代が居るんだよ」とは聞いていたよね。

TCB: そうです。だから、初めて近所のスーパーで見た時は「こいつじゃないか・・・」となんとなくあたりはつきました。で、そんな状況が半年一年経った頃・・・

田中凛太郎著 Motorcycle Jacketを読みふけるTCB


WKS: お互い会社も違うのでそこで話しかけることはなく。たまたま、ヤフーオークションかな?でレプリカメーカーのシャツを買ったんだよね、井上君から。プルオーバーの作りを当時勉強していて、そのシャツが何年か前に出たやつだから見て、解体したくってね。

TCB: もう、当時から解体なんですね。でも、すぐに「この人だ!」って確信できなくて、一年ぐらい経ってから電話しましたよね。

WKS: 驚いたよ。「だいぶ前にヤフオクでシャツを売った井上と言いますが・・・」って電話してくるから、何のクレームか?と思ってびっくりした。

TCB: それがきっかけで知り合って、そこからはスーパーや共通の取引先で会うたびに話すようになっていきました。今でも覚えているのが、舘野さん(WORKERS)が夜中の1時すぎに電話してきたことありましたよね?「前から縫えなかった、この縫い方が出来た!!!」って。

WKS: だって、もう何年もできなかったんだもん。セットインの巻き縫い。それを、方法論としては出来るのが見つかって興奮してね。

この児島から一駅戻った上の町にWORKERS舘野・TCB井上ともに当時の勤め先がありました。
その上の町の東久ストアというスーパーでお互いを毎日のように見知っていました。
でも話しかけない、そんな日々。


TCB: だからって、ふつう夜中の1時過ぎに電話してこないですよ。

WKS: でも、その後すぐに来てくれたじゃん。

TCB: そりゃ、こんなバカな奴他にいないですから、その完成の瞬間を見ておいてあげないとって。

WKS: その後も、たまにうちに来たりはしたけど、年がら年中一緒にってわけではないよね。

TCB: お互い、何せ夜は縫い物が忙しかったですから。後は性格の違いもありますよね?

上の町から南に行った下の町。そこにある鴻八幡宮という神社の上から。
今のTCBがある場所のすぐ近く。
あのころは、井上君がこの近くにビル構えて工場やるとは想像できませんでした。
たぶん、本人もここまで具体的には想像していなかったはず。


WKS: そうだね、私は一人で考えたいタイプ。井上君は、もちろん当時は一人で縫う時間が多かったけど、それ以上に、周りとのコミュニケーションも大事にするタイプ。

TCB: お互い、「ジーンズ作りたい」「縫ってみたい」「それをどんな形でも仕事にしたい」という共通の目的があるけど、それ以外は、まったく人間性が違いますからね。

WKS: そんな二人が、同じ時代に同じ場所に来て、フラフラしながらも何とか食べて行けるようになった。でもまだこれからだね。

TCB: 僕は数こそ少ないとは言え「TCB」で一緒に働いてくれている人が居る。彼ら、彼女達にきちっと給料払っていかないといけないですから。

WKS: WORKERSも直接雇ってる人は居ないけど、協力してくれている工場さんには小さな子供が居る人も。その子達が大人になるまで、頑張らないと。

TCB: でも難しいのが、そうやって生活を守ろうとかばかり考えちゃうとどうしても、「こんなものを着てみたい」「作ってみたい」「提案してみたい」って、純粋に「服が好きで作りたい」という気持ちがどこかで変わってしまう時がありそうで怖いです。

WKS: 今でも「自分が着てみたい」とか「こんなアイデアの服、まだ見たことない、作ってみたい!」とかそういう気持ちは冷めないよ。それは大前提で、そのうえで、自分も協力してくれるすべての人も、うまく行くように考えるのが「事業」なんじゃない。自分だけで何かやりたいなら、アーティストでもなんでも、自分だけでやれる何かを探した方が良いし。TCBもやっぱり自分で着たいとか、そういう気持ちは変わらないでしょ?

TCB: ですね。毎日自社で作った製品着てますから。

WKS: 私もそう。毎日、すべてではないけれど、何かしら自社で企画した製品は着るよね。


・・・・と出会いから話しがだいぶ脱線してきたので今日はこのあたりで。

TCB・証言者矢部さん編

手前が矢部さん。TCBを服つくりの世界に戻してくれた人。
TCBに仕事教えてくれて、金が無いときは飯食べさせてくれて。
話を聞けば聞くほど良い人。

一度は洋服の世界をあきらめたTCB。彼を再び、生産の世界に戻してくれた矢部さんの登場です。矢部さんも今はAgilityという縫製工場をされています。

矢部さんのお話・・・・・・

矢部さん: 初めて井上君(TCB)を見た時の印象は一言で「汚い」。当時はバイクに乗ってて、着るものもボロボロのジーパンやジージャン、フライトジャケット。今よりだいぶ痩せてはいたけど、とにかく汚かったね~。

WKS: その後、矢部さんが一緒に働かれて覚えていることはありますか?

矢部さん: まず会社入って1か月後ぐらいかな?いきなり井上君が来ない。心配して電話すると「あ、今アメリカです!」。そういえば、会社勤めするときに「ためたお金で一度アメリカを見に行きたいんです」とは言っていたけど、だれにも言わずに行くとはな~。会社の社長も「あんなのは首だ!!!」って言ってたけど、アメリカからち~さなショットグラス一つお土産に買って帰ってきて。それで社長もコロッと許してしまってね。

矢部さんの工場にて。太さ違いすぎ!


WKS: 井上君らしいというか・・・

矢部さん: そう、社長だけじゃなく縫製のおばちゃんにもかわいがられたり。とにかく、人当たりの良いのが彼の良い所よな。おかげで、外注さん行くと話が盛り上がって帰ってこなかったり。

WKS: 彼の「ここが良かったな」という部分は?

矢部さん: やっぱり「縫う」という事に最初から興味を持って自分でやっていたこと。ある意味「縫う」という点に関しては、当時も教えてもらう部分があったし、今もそれは同じ。ただ、会社自体は量産工場では無いから自宅にミシンを少しづつ買って夜な夜な縫ってたよな?

TCB: それはワーカーズも同じですよね?

WKS: そうそう、児島に来た服が作りたい奴の第一歩は「家に工業用ミシン」

TCBの家写真が無かったので、WORKERSの昔住んでいた家の写真から
こういうミシンが普通に民家にあるのが児島スタイル

矢部さん: 夜縫い物して、徹夜で仕事へ。給料は全部ミシン代に消えて。飯代も無いからよく一緒に食べに行ったな。

TCB: ほんと、数えきれないぐらいおごってもらいました。

WKS: さすが、君は人に好かれるな~。それに矢部さんや勤め先の社長が良い人すぎる。勤めさせてもらった会社はどんな会社?

TCB: いわゆる「振り屋」に近い業態でした。東京のメーカーさんから仕事をもらい、それを児島はじめ地場の工場で作り納品する。パターン、生地、付属(部品)は工場で買う時もあれば、メーカーさんからの支給もあり。自分の想像で、児島には「工場」しかないのだと思っていました。そこに、自社ではわずかな生産設備だけもち、外注さんをメインに物を作って納めるという仕組み自体がとても新鮮でした。

WKS: そこでTCB自身は何を?

TCB: いわゆる「営業」がメインです。会社入ったばっかりの自分にも、社長や矢部さんが許してくれて東京に営業で一人で行かせてもらったり。もし今自分の会社に、当時の自分みたいなのが来たら矢部さんや社長のように同じ事が出来るかどうか?というと正直考えちゃいます。自由にさせてもらい、かわいがってもらい、感謝しかないです。

矢部さんとTCB井上君、ラッパを見ながら談笑?

WKS: で、数年たって矢部さんが独立され。TCBもその後を追うように関連会社へ・・・

矢部さん: 自分がまず独立して。ある日井上君が「会社辞めてきました!」って歩いて来て。当時、井上君は会社の車を借りて自宅から通ってたのでまずその晩、どうやって家帰るんだ?って。仕方が無し、知人に電話して余ってる車借りて、とりあえずの足を用意して・・・

WKS: むちゃくちゃですね、相変わらず。なんでそんな事したの?

TCB: 今思うと馬鹿なのですが。当時の勤め先の社長も自分で会社を興した人だったんです。自分が当時25-6。社長は同じ年の頃にはもう会社を興していた。そんな事を悶々と考えているうちに、まずは会社を辞めて、自分で何かをしたいという思いが募ってしまって・・・。でもこれが自分の甘さなんですが、だからといって明確なプランがあるわけでなく。まず、矢部さんに相談に行ってしまったんです。

矢部さん: 当時の井上君、ミシンはある程度そろっていたけれど仕事を受ける目途があるわけでも無し。

TCB: なので、矢部さんに頼んでもらい、今度は加工メインの会社に籍を置かせてもらいました。自分でもある程度、ミシンがあってできることがあるので、加工に付随した縫いの仕事をさせてもらったりしていました。

WKS: 矢部さん、最後にTCBのこれから、どうなってもらいたいですか?

矢部さん: 井上君とは一回り、12歳年が離れているんだよな。いつかは先輩に恩返しできるようBigに成ってください。

WKS: ありがとうございました!

次回はTCB・WORKERSの出会い編です。

TCBのこれまで・・・

ポップアップショップをするにあたり、そもそも「TCBとはどんな人?」「WORKERSとはどんな人?」「どうやって知り合ったの?」といったあたりを少し紹介しようと思います。

本日は、TCB・井上の歴史編から。まだWORKERS・舘野と出会う前のお話になります。

本文中に出てくるTCBが初めて勤めたサンダイヤ跡地にて

TCBの歴史編 その1

WKS: そもそも何年、どこ生まれ?

TCB: 1980年、昭和55年生まれで広島の福山の近くです。

WKS: そもそも洋服に興味を持ったきっかけは?

TCB: ミーハーで恥ずかしいんですが・・・中学時代に見た「若者のすべて」ってキムタクが出てたドラマなんです。

WKS: 早熟だね~。

TCB: 中学になるとすぐに新聞配達初めて、確か3万円ぐらい最初のバイト代が入ったんです。だから中学生にしては自由になるお金があって。「若者のすべて」で木村拓哉が演じた上田武志。流石にロン毛にはしませんでしたが彼の少し腰に引っ掛ける感じのジーンズの穿き方やロールアップの幅、革に悪そうなエンジニアブーツの脱ぎ方、タ◯コの銘柄から箱の空け方まで真似して友達と盛り上がってました。

WKS: で、洋服は何を買ったの?

TCB: バイト代握りしてめて、福山でオシャレの登竜門CASPAに行き店員さんに進めらるがままEVISジーンズを買いました。当時の雑誌にも称されてましたが15cmほどロールアップして俗に言う「EVIS穿き」をしてました。

WKS: 確かに、我々の世代だとビンテージはそう簡単に買えない。レプリカ買うのだって清水の舞台から・・・だったよね。

TCB: 自分で意識して穿いた最初のジーンズはLEVI'Sでは無かったですが、前開きがボタンで、縮んで、捻れて、色が落ちて。それを育てて行く感覚。それがとても新鮮に感じたのを今でもよく覚えています。
で、そんな中学時代の後、高校に入るのですが早々にドロップアウトしてしまって。

WKS: そうだったんだ。それからは?

TCB: それこそ、近所の建設系のバイトとかしながら実家ぐらしでノラクラしてました。でも服だけはどうしても好きで、今でも覚えてる97年にマッコイのモナークのA-2買ったり。先の事何も考えないで「バイト何日すればあれが買える!」なんて生活でした。18に成った頃、将来を考えて「やっぱり好きな服の仕事で生きていきたい!」と思い、まずは販売の仕事を探しました。

WKS: 広島、福山っていえば生地屋さんにしろ縫製屋さんにしろ、実は児島以上に集まってるんだけどね。

TCB: 今でこそわかるけど、当時は全くそういう情報も無かったし、何より「作る」にすぐに頭が行かなかったんですよね。大阪に出て、アメ村とか販売員募集を探しても中々見つからず。そんな時に「京都のポーキーズさんが募集してたよ」と聞いてすぐに連絡して採用してもらいました。それが広い意味での「洋服業界」のスタートです。

WKS: その販売員時代に、お互いの共通の知人とTCBも会ってるんだよね。私も、その人から「岡山でジーンズ作ってみたい」なんていう面白い子が居たよって聞いてたし。

TCB: そうです、その方は縫製に詳しい人だったので、お店に来られた時に色々話しました。お店は、レプリカジーンズのようなクラフト系のアメリカンカジュアルがメイン。日々、お店に立っていると門前の小僧ではないですが、やれユニオンスペシャルだ、力織機だ、児島だといろいろ知るわけです。服を売るのも楽しかったですが、もっと知りたい。作ってみたいと、純粋に思うようになりました。そこで、お世話に成ったポーキーズの社長には自分の気持ちを伝え、退職させてもらい児島へ向かいました。

WKS: 向かったって言っても、つては?

TCB: 無いです。電話帳見てかたっぱしから「被服」とか「縫製」と名のつくところに電話しました。でも、どこも「経験者」「男性は縫製工の採用は無い」なんて返事ばかり。そこで、最後にかけたサンダイヤという縫製工場で「もし、ミシンの整備工見習いから始めるならば」という事で拾ってもらいました。

WKS: サンダイヤ、私が勤めてたカマダさんのすぐそばで大きい建物だったよね。

かっこつけてます。3階建ての本当に大きな建物でした。
夏に成ると窓が開いてたから冷房は無かったんだろうな・・・


TCB: そうです、三階立てでした。工場に入った当時はエンジニアードジーンズが良く流れていたのを覚えています。そこで、整備工見習い、そして掃除から何からやるいわゆる「見習い」をさせてもらいました。手が空いた時は自分はオートベルターというループを切って・カン止めをして止める、半自動ミシンを踏ませてもらいました。

WKS: ある意味で、本当の量産工場。今となっては貴重な経験だね。今の日本でそういう、ある程度の量を早く、出来るだけ安価に作ろうというのは難しいからね。

TCB: そうですね。ただ、その方向性にやっぱり今思えば時代とズレが出たのか。勤めて1年後ぐらいに工場の稼働率が6割ぐらい、週の2-3日は休みという状況に成ってしまいました。当然、新米の私にも整理に近い話が来ます。縫製の仕事をもっとしたいという思い半ばではあるけれど生活がある。悩んだ末に退職して他の仕事を始めました。児島のすぐ近くに水島という場所があり、そこで三菱自動車の工場があります。そこで、期間工の仕事を始めました。

WKS: そうだったんだ。サンダイヤからそのまま、また違う会社で働いたのかと思った。

TCB: 正直、期間工を始めてからは不安ではあるけれど、収入は縫製の仕事よりも安定している。自分はこのまま行くのかな?縫製の世界はあきらめるのかな?と漠然と思う時もありました。そんな時、期間工の先輩に自分の身の上話をしたのです。すると、たまたまその先輩の友達で児島で縫製では無いけれど、服に関係する仕事をしている人が居るから紹介しようか?と。もう、渡りに船です。そこで、紹介していただいたのが、矢部さんという方なんです。

WKS: そうなんだ、では次回その矢部さんに登場してもらいましょう。

ポップアップショップのご案内



拝啓 貴公ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
このたびポップアップショップを開催いたします運びと相成りましてござりまする。
スペシャルゲストとして私の古くからの知人、TCB Jeansにもご参加いただきます。
WORKERS・TCBのジーンズ・デニムジャケット等、似たモチーフながらパターン・生地・縫製の違いをお楽しみ頂けるラインナップと成っております。
当日はWORKERS舘野・TCB井上ともに店頭にてお客様に直接、商品の説明・フィッティング等させていただきます。
この秋の一着を探しに足をお運びいただけますよう、希い上げ奉りまする。
敬白

ポップアップショップ・会場・会期
場場所:153-0061 東京都目黒区中目黒2-5-28 レンタルスペースさくら1F 期間:9/10(土)~9/11(日) 午前10時より午後6時


これに伴い、TCBのこれまで、WORKERSのこれまで。お互いの出会い、そしてこれから・・・といった対談記事を本日から数日にわたりアップいたします。