実は、すでに16FW、来年の型紙を検討していました。
ジャケットの前裾部分の形状、下がり具合、このあたりが気になりデータを整理していました。
シルエットを検討するときは、中に書き加えたステッチやポケット、それらをすべて消して、純粋にシルエットだけを比較してみます。
並べただけでも、ある程度はわかりますが、これをさらに・・・
重ねてみると良くわかります。
寸法で言えば、2-3センチですが、シルエット、ひいてはそこから受ける着た時のイメージは大きく変わります。
以前はこういった作業は紙、それを重ねて、透かして・・・といったやり方でした。
さらに、全体のバランスを見たいのでパターンを床に置いて椅子の上に乗って高い所から見て確認したり。
こういった、紙の保管とか、遠くから見るとか、そういう技術的な部分はCADになることでとても便利に、またそのおかげで精度も高くなりました。
CADならデータは無くならない、検索もできる。拡大・縮小も自分が動かず、一目でわかる。
でも、本質的な部分は結局紙でもCADでも変わりはないのです。
作ってみる、着てみる、人が着ているのを見る。
そこに、次作りたいものはどこを活かし、どこを変えて。変えるなら何故変えたいのか。
学生時代、あるメーカーのデザイナーが「結局、作ったものを永遠に修正してくことでしか自分はデザインが出来ない」と言われているのを雑誌で見ました。
その時は「毎回0からじゃないのか?」とか生意気にも思っていましたが、自分で服を作ってみて感じます。
今年、来年、そして再来年。常に、今あるものを研ぎ澄ましていくのが私のやり方で、ひいてはメンズウェアってそういう部分が往々にしてあるのだと思います。
極論すれば、男の服は
「ジーンズ・チノパン・軍パン」
「BDシャツ・ワークシャツ」
「スウェット・セーター」
「ジャケット・コート・カバーオール・Gジャン」
この程度あれば日々の生活はまかなえます。
この制約の中で、微妙な違い。その時何が着たいのか、自分はどうだ。時代はどんなだ、お客様はどうだ。そのバランスを取りながら作り続けていきます。そんな時に、このCADというのは、過去のデータを取り出せて、いろいろな形を検討できる。私にとって、頼りになる道具なのです。