女性が穿くWORKERSジーンズ
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上から、ガス焼き。コンパクト。コーマ(コーマという櫛ですいて短繊維を落とした糸。ここで落ちた綿をあえて混ぜたのがWORKERSよくTシャツに使うラフィー) 毛羽の出具合の違いが良くわかる顕微鏡写真。 |
精紡機から糸が出来上がったところ。管に巻きついた糸は微々たる量。 このままでは運べないので・・・ |
チーズアップという作業。下に先ほどの精紡機から出来上がった細い管があり、それを何本もつなぎ合わせて大きなチーズと呼ばれる状態にしていく。 |
今度は染め工場へ。 上にあるのがチーズアップした糸、これをソフトにまき直し。上から下に向かって巻いてます。 |
染料が通りやすいように、中に穴がたくさん開いた管に「ソフトに」巻いていきます。 きつく巻いたら染まらないのです。 |
窯に入れて糸を染めているところ。中に軸があり、底から染料が外に向かって出る。 さっきの管の穴を通って、染料が外に・外に出て均一に染まっていく。 |
今度は染まった糸を、最初とは逆にまたチーズ巻に戻していく。 これで、次の撚糸(糸を撚る)工程や、織物なら糸を織機にかかる状態にかける工程へ・・・ |
TCB×WORKERS こんな風に、他のメーカーさんと合わせてもしっくりくる、着てる人の人柄が出る服を作りたい |
縫製工場だけじゃなく、糸染める工場だったりネクタイ工場だったり。 出来る限り、その工場に行って、また次のアイデアをもらったり。 おこがましい事言えば、その工場が気付いてない価値を探し出して、それをWORKERSの企画で形にできたら本当のプロだと思う。 |
この太った二人の猫好きがお待ちしております。 何と言っても、お互い、ステッチの一本、型紙の線一本まで「どうしてこうなったか」はわかります。 自分で企画してますから。 是非、WORKERSの製品、TCBの製品の現物を見比べて、その作りの違い。 ひいては考え方の違いを感じ取ってください。 9/10-11、中目黒でお待ちしております。 |
唯一残っていたWORKERS始めた頃の写真。手前の二人は当時の同僚。 14インチのテレビにYKKの箱、立ってる原反、かかったパターンにLeeのアドライト。 奥にはミシンがあって、手前には撮影用のレフ版変わりの段ボールにアルミホイル。 夢はあるけど、置き場が無い!という感じ |
一枚帯、ちょろっと探しただけでこれだけあってこれはサンプルにしか使ってませんでした なんて贅沢・・・ |
UNIONのこれは帯付けかな? 帯付けだろうと、前立て縫いだろうと、裾巻きだろうとありました。 「うちは恵まれてるよね」って先日登場の旧専務はさらっと言いますが、やっぱり恵まれすぎです。 |
そういえば、シャツだけじゃなくてニュースペーパーバッグも営業用に作りました。 でも、最初は全然反応が無くてWORKERSで作って売った事がありました。 それを持ってさらに営業してその後何社か会社にオーダーもらえてうれしかったなぁ。 それにしても、好き勝手やらせてくれた勤め先でした。 |
夜な夜なサンプル作り。 本当に、ほとんど初めての「量産品」 工場で流す事前提なので、絶対に間違いあってはいけないと必死。 このころには、もう少し広い所に引っ越していましたが、後ろのカーテンに注目。 前の家から持って行った遮光カーテンです。 |
プリント屋さんで 意外と自分の写真って残ってないです、自分で撮るから。 これはカメラ好きのプリント屋さん(現 cafe de blancさん)に撮ってもらった物かな? |
シャツと言えば総社縫製 工場長にも、総社縫製の母体、山崎産業の社長にもお世話に成ってます。 でも、一つだけ私自身の事を自慢?というか、努力してきたことを言いたいです。それは 「工場の設備がわかってるからこそ良い企画が出来る」 それがある程度出来ているのがWORKERSの製品であると、自負しています。 どんなにうまい工場でも、その工場に合わない製品・仕様は良い物が出来ない。 良く「職人泣かせの」とか言うのはうそです。 正当な工賃が出さえすれば、どんなに難しい物でも工場は泣きません。 単純に企画の人間が製造の事をわかっていないから、作る人を困らせるような無理ばパターン・生地・縫い仕様なだけ。難しいじゃなくて無理を通してるから泣くのです。 WORKERSは、私は、本当の意味で洋服を企画するプロになりたいのです。 |
魚屋の横時代。 |
左が専務、右がTCB井上君。まだ細い・・・か? どう見ても民家っぽい床の間の前にペデスタルの巻き縫い。 やばい工場感がむんむん出てます。 |
まじめに裾上げをこなす井上社長。 恰好はどっから見てもふざけてますが。 |
専務・・・かな?こちらの方がだいぶ綺麗目。 |
海外から取材が来たり、すっかり有名に。 確かに、考えれば量産しつつブランド・メーカーとしてもやっている児島のジーンズブランドは少ない。 |
目標に向けて、工場見学を企画したり地道に一歩づつ頑張る井上社長。 ボーダーTシャツがWORKERSのXL相当でもきつくなりつつあるのは秘密。 今後も長く続けるためもう少し痩せてください。 |
「俺は裏方だから出ない!」っていつもおっしゃるので後ろ姿で。 お互い年取りましたね・・・ |
今頃、ちょうどうちのサンプル縫ってるはずですが、この日はお盆前なのでやっていなく。 なので、やらせ写真です。勤めてた頃は毎日こんな感じでした。 サンプル縫う人の |
サンプル縫いの横に一人一台作業台置くレイアウト考えてみたり。 サンプルの手を付ける順番を一覧にするホワイトボード+マグネットシートの仕組み考えて、ホワイトボードを中古道具屋に買いに行ったり。 そうやって、試した工夫で、作業が早くなって、サンプルの売上が上がって。 試行錯誤が楽しかったです。 |
日本聖公会HPより いわゆるお坊ちゃん学校なので、こんな教会があったり。 周りはそもそも家がお金持ちってのが多くファッション的にも世慣れてました。 そんな中で服に興味を持ち、持ち前のオタクっぽい調べ方をしていきました。 (実はYMOの方がこのころはもっとはまってましたが) |
探しに探して唯一出てきた文化時代の写真。 最初にシャツを作った時、それを着てファッションショーもどきをした時の一枚。 自分がモデルなのですごい嫌そうな顔をしています。 どっから見ても既製品には見えないシャツしか出来ないで悶々としていたころ。 |
WORKERS旧宅での一枚。2008年で写ってるのはTCB井上君 マグナムドライが泣かせる一枚 お互い、呑みに行ったりしないので唯一残っていた写真 |
田中凛太郎著 Motorcycle Jacketを読みふけるTCB |
この児島から一駅戻った上の町にWORKERS舘野・TCB井上ともに当時の勤め先がありました。 その上の町の東久ストアというスーパーでお互いを毎日のように見知っていました。 でも話しかけない、そんな日々。 |
上の町から南に行った下の町。そこにある鴻八幡宮という神社の上から。 今のTCBがある場所のすぐ近く。 あのころは、井上君がこの近くにビル構えて工場やるとは想像できませんでした。 たぶん、本人もここまで具体的には想像していなかったはず。 |
手前が矢部さん。TCBを服つくりの世界に戻してくれた人。 TCBに仕事教えてくれて、金が無いときは飯食べさせてくれて。 話を聞けば聞くほど良い人。 |
矢部さんの工場にて。太さ違いすぎ! |
TCBの家写真が無かったので、WORKERSの昔住んでいた家の写真から こういうミシンが普通に民家にあるのが児島スタイル |
矢部さんとTCB井上君、ラッパを見ながら談笑? |