今日、延々インスタで解体作業をしていたJungle Fatigueです。
「ビンテージは文化遺産だ!解体するなんてよろしくない!」といわれることもあります。
が、やっぱり自分でちゃんと知ったうえで物が作りたいので解体できるものはしてみます。自分で身銭払って、一応、曲がりなりにもメーカーやってものつくりの為の解体なので。
ミリタリーは「独特」としか言いようのない部分があって(トップスの袖底とか、軍パンの脇のラインとか)私は解体しないとわからないのです。
後は夢見が悪いというか。死ぬときに「ああ、結局ミリタリーの型紙、ちゃんとわからなかったなぁ・・・」と思いたくないのです。
正直、何かを原型にして、その表面的デザインだけ変えればもっと簡単に型紙は作れます。でもそれでは嫌なのです。「アパレルメーカー」としては、同じ原型、縮まない生地、綺麗な縫製。Mサイズを買えば毎回同じMサイズ・・・が正しい「アパレルメーカー」でしょう。
でも、私はそういうのを見て「古着のほうがもっとワイルドで、面白みがあって好きだ」からスタートしたので、正しいアパレルメーカーじゃなくて、危なっかしい方を選んだのです。
ただ、危なっかしいからこそきちっと理解して作って、説明して販売する。そうしないと、「これはクオリティ的にさすがにどうなんだ?」というようなものでも「昔の再現です」で押し通したりすることがあるので。
私もはるか昔。まだこの仕事を始める前に買ったある服の糸始末が非常に悪かったことがありました。果たしてそれが再現?なのか、単純に糸始末が悪いだけなのか当時はわからず。店員さんに聞いたら、「再現」と答えられてしまいました。今思えば単純に糸始末が悪かっただけです。その製品は。
私自身、ワークシャツの脇で空環縫いをあえて残してみた製品を作ったこともあり「あえて」があるのはわかります。でも、そうじゃない部分もある。
最近思うのが、これだけ何もかも高価になって、せっかくお金出して何かを買うからにはちゃんと納得して買いたい。
100%良いもの、正解、これが一番。そういうベクトルじゃなくて、作ってる人がそのものの良い点も、悪い点もちゃんと把握したうえで作っている。わからなかったり、気にせず作ってる部分があれば、それはそれとして説明するなり、調べるなりしたい。
かつ、自分が作っているものを説明するために、他者を貶(おとし)めるような言い方はしない。
フラットに、淡々と、でも奥底には熱い炎が燃えているようなもの作りをしている人の製品が私は好きですし、自分もそうありたいと思います。
こういうことを書くのは、最近の世の中のコマーシャリズム?というか、売らんがなな姿勢に辟易しているからです。売らないと続けられないのは私も身をもってわかります。さっきも生地の請求書が298万来てたので。売らないと払えない。
が、だからと言って、何でもありは私は受け入れられない、という話でした。