歌舞伎・音楽・洋服
日々、こんな仕事に追いたてられ更新もブログの更新すら出来ず・・・言い訳です。
で、そんな日々で風呂に入りながら気付いたこと。
歌舞伎と洋服とYMOとクラフトワークとジャズ、私が好きなものはすべて同じということ。
まず歌舞伎から。
歌舞伎には、人気のある演目、勧進帳とか助六、弁天小僧とか髪結新座、何度も繰り返されて演じられる演目があります。
人から「同じもの、ストーリーも分かっているものをなぜ何度も見るのか?」と聞かれた事もあります。
確かに筋も、やり方もほとんど同じ。でも、それぞれを演じる人が違う。同じ人でも年が違えばまた微妙に違う。さらに、それを見るこちら側も、その時の自分の置かれている状況で感じ方が違うのです。
ここでふと考えると、私が好きで仕事にした洋服も同じ事です。
ジーンズはだれが作ってもジーンズだし、ボタンダウンもカバーオールもそう。
そして、人気のある製品は繰り返し、様々な人、メーカーによって作り続けられます。
思えば、学生時代、同じようなカバーオールをヘッドライトとクラウンとヘラクレスと、作るメーカーやブランドによって微妙な差があるのを見て、楽しみながら覚えました。
リーバイスのジーンズが年代によって微妙な差がある、これなんかも「若い時の吉右衛門はこんな感じだったが、今は違って・・・」なんて話と全く同じです。
(もちろん、お芝居=完全なる趣味・アートの世界/洋服=実需品としての側面といった違いはあるのですが、私が作っているような洋服は実需半分、趣味性半分の世界ですから。)
YMOやKRAFTWERKも年代やライブによって同じ曲のアレンジが違うのを楽しむ。
ジャズもDinahという曲一つにしても、私の好きなMuggsy Spanierでもともと知ったのですが、最近Thelonious Monkが弾いてるのを聞いてまたDinahという曲自体が好きになったり。
結局、私にとって芝居も音楽も洋服も、楽しみ方はいつも同じなのだと気づきました。
同じような物、同じような演目、同じような曲の微妙な差を感じる。
ある意味「どうでもよいこと」の塊ですが、そんなどうでも良いことを知る楽しさに気付けると人生というのは少し豊かになるかもしれないなぁと最近思います。
ただ、そんな「どうでもよいもの・こと」だからこそ、精一杯、まじめに、考えて、工夫してやらないと心に響かないのです。その話はまた次回・・・