17SSの修行中

おっと、袖口の縫い代が違う・・・

17SSサンプル作成中です。
この期間は、毎日ひたすら型紙作り、生地選び(時に作り)、ネーム選び(時に作り)、部品選び(時に作り)と、デザイン・型紙・デザイン・型紙、選んで選んで・・・と繰り返します。
楽しい半分、毎日同じ時間、同じ事の繰り返しは修行っぽいなとも感じます。これがもう少しすると、修行ハイになってくるのですが。

WORKERSは残業をほとんどしないので(そのかわり休めない時は休みも無い)今日もそろそろ終わりです。

が、頭の中ではずっと今の目の前の作業について。あの線はもう少しこうした方が良いか、この仕様の方が縫いやすいか。
そして、明日から手を付ける次の品番、その先の品番の生地等々が頭の中でぐるぐるぐるぐる回っています。


池波正太郎が連載小説を書くときに、最初だけ書いて後はしばらくほっておく。その間、音楽を聴いたり、マッサージに行ったり。でも、絶えず頭の中ではぼやっと考えていて、それがまとまりつつあるな・・・というのを感じ取って書き進めていくとエッセイに書いていました。まさに、それと同じで考えていないようで考えている。


もう一つ、同じく「同じだな」と感じたのが初代猿翁の芸談。役者は芝居をしていない時に芝居の勉強をするという話。
四六時中、ただただ踊りやセリフのけいこをする、というのではなくて何の気ない、普段の生活の時も始終、頭のどこかには芝居の事がある。だから、ふとした時に見た景色、その感覚や表情を芝居の時にふっと活かすといった話。
で、そういう感覚に成れるのはやっぱり芝居が根っから好きでないといけないという事でした。(同じような話は五代目菊五郎でもあります)

服作るのも、ただ型紙の引き方や部品の種類やら考えていれば良いのではなくて、ふと見た何か、感じた何かを今作るものに反映させないといけないと私は思います。それをするためには、やはり好きじゃないといけない。四六時中、頭のどっかに服が無いといけないと思うのです。

その初代猿翁の顔。今の役者が年とってもこういう顔には成らないと思う。
余談ですが・・・昔の役者の写真を見ると、今の役者が年を取ってもこういう顔には成らないと思います。うまい・下手とか、良い・悪いではなくて、生きている時代が違う。食べ物も違うし生活も違う。道徳も、感覚も何もかも違う。
うちの祖父思い出しながら、今同じぐらいの年代の人を見てもやっぱり何か雰囲気が違うのです。

私が作る服も、時間が経てば今ビンテージとして見る古い服と同じになるか?と言われれば、同じにはならないと思います。やっぱり、時代が違う。素材も違えば、求められる品質も、シルエットも違う。でもそれで良いと私は思います。

芝居も、洋服も、私は古い物、昔の物が大好きです。それでも、今の時代を感じる何かを求めて、線を引いて、工場へ行ってサンプルを作っていきます。