紡績, studying history of Japanese spinning mill,
展示会寸前に届いた本。
最近興味があるのが、日本の製造業の歴史。
昨年、Tシャツを作る際に紡績屋さんに行ったのをきっかけに、俄然、日本の紡績業に興味が。
とりあえず、Amazonでそれっぽい本を少しづつ購入しました。
いきなり、当時の一次史料をコピーした本など、資料性は高いけれど読んでもわからん・・・という本にもあたってしまいつつ、数冊目でこの本にあたりました。
セラーの方から「高村直助先生の名著を再び活かしていただけて幸いです。わずかに棒線がありますが・・・」と、ご自分で昔使われた人だったようで、熱いメッセージまでいただいてしまいました。
で、確かに読んでみるとこれはおもしろい。
さっそく、パートごとにまとめながら読み進めています。
そもそも、幕末まで、日本では「綿糸」よりも「綿花」「綿布」がビジネスのメインであくまで「綿糸」は布を織る時に作る中間製品のような扱いであった事。「紡織一体」、つまり、糸を作る事・そこから布を織る事が一体化していたようです。(このあたりは、完全に統計があるわけでもないので、ある程度ぼかされています)
本著では、泉南地方を例に挙げていますが、それが幕末ごろから徐々に製織(布を織る)に対して紡績(糸を作る)が追いつかなくなり、他から糸を買うというのがメジャーに成りだす。元々、泉南地方は素材である綿自体、あまり作っていなかったので、原料を買う必要があり、だったら糸ごと買えば良いとなったのではないか、とも推測しています。
開港後は輸入綿布の品質・価格に押され、織布産業は減産。
その対策として、輸入綿糸を使った織布が始まる・・・
といったまだまだ最初の部分ですが、ここまで読んだだけでも面白い。
さらに、摂津紡績 尼崎紡績の社長を務めた菊池恭三の自伝も平行して読んでいて、こちらには、現在のラフィー糸(途中行程で落とした短繊維をあえて混ぜた糸)と同じような物が明治時代から作られていたとか、明治中ごろには綿糸の輸出が輸入を追いぬくほどであったとか、駆け足ですが興味深い内容が述べられています。
私にとって何が面白いかと言えば、われわれが「ビンテージ」として見ている服、もしかするとその糸は日本で作られていたかもしれないのです。
さらに、原綿も中国から入れたり、アメリカから入れたり。アメリカから入れるにあたり、その綿糸に適した紡績方法を研究したり。
今でこそごく普通に行われている紡績にも、こんな歴史があるのかと思うとまた違った見え方がしてきます。