WORKERS・証言者鎌田さん編

WKS: WORKERS舘野を縫製業の世界に受け入れてくれた現カマダJPN社長(旧専務)に登場していただきます。さっそくですが、舘野を初めて見た時の印象はどうでしたか?

KMD: 初々しかった。色が白いな~と。

WKS: だいぶ猫かぶってましたからね。その後、実際仕事をするようになってからの印象は?

KMD: やはり、「これがやりたい」という目的意識がはっきりしているので技術的な面にせよ、飲み込みは早かったね。

WKS: でも、人生初の就職で正直、世の中の仕組みがまったくわかってなかったので社長にはいろいろ教えてもらいました。たとえば、物持ってく時には納品書を必ず書けよから始まり。

「俺は裏方だから出ない!」っていつもおっしゃるので後ろ姿で。
お互い年取りましたね・・・


KMD: 持って行ったら、ただ置いてくる・持ってくるだけじゃなく内容を確認しながら積み下ろしするとかな。

WKS: 「物持って行って帰って来るだけなら佐川急便だって、クロネコだってできる。お前が持ってかないといけない理由を考えろ!」って怒られましたからね。今思えば、社長も若かったので色々と怒って教えてもらいました。当時と比べると、やっぱり今は指導が少ないような・・・

KMD: 教えるのって、どうしても必死になるし、時には声が大きくなることもある。でもそれは、言ってもついてくる君だからこそ言った部分もある。後は必死に教えるのって疲れるからな。お互い、君も若くて色々吸収したい。俺も40代半ばで一番必死だった時。タイミングが良かったんだな。

WKS: だと思います。会社でも、それこそジーンズひっくり返すのから裁断の手伝い。縫い工場とのコミュニケーション。縫いあがった製品を最後、ボタン打ったり、洗ったりといった工程の手配から出荷まで。全部させてもらえたのが今、本当に自分の物作りの力に成っていると感じます。

KMD: 技術的な面とか、盗める部分は大いに盗んでくれれば良いと思っていたからね。

WKS: パターンCADも、最初にとっかかりで使わせてもらったのは会社でした。

KMD: ちょうど良いタイミングで前任者が居なくなって、そんな時、君はパソコン系は元々使える。そこに来て、パターンの知識もある。君にとっても学べるチャンスだけど、会社にとっても適任者だった。お互いに、利害が一致して良い関係だったんだよ、本当に。

WKS: 舘野の良い面、悪い面ってどんな部分でしたか?

KMD: 繰り返しに成るけれど、やっぱり縫製的な面、さらにコストの面、各工場の得手不得手。そういうのがわかったうえで、自分で仕事を取ってこれる所がすごいなと思ったな。悪いというのは、ある意味、良い面の裏返しでもあるのだけど、「是は是、非は非」がすごくはっきりしている性格だからたとえ、お客様であっても、非があれば受け入れられないという部分かな。でもそれは、俺もそういう部分があるから。


今頃、ちょうどうちのサンプル縫ってるはずですが、この日はお盆前なのでやっていなく。
なので、やらせ写真です。勤めてた頃は毎日こんな感じでした。
サンプル縫う人の邪魔をしに順番の指示とか、縫う時のポイントとか伝えに行ってました。
サンプル縫いの横に一人一台作業台置くレイアウト考えてみたり。
サンプルの手を付ける順番を一覧にするホワイトボード+マグネットシートの仕組み考えて、ホワイトボードを中古道具屋に買いに行ったり。
そうやって、試した工夫で、作業が早くなって、サンプルの売上が上がって。
試行錯誤が楽しかったです。

WKS: WORKERSとして独立させてもらう時は、うまく行くと思っていましたか?

KMD: うん、少なくとも俺は思ってたよ。在庫大きくかかえたり、お店だしたりって無理をしないで、小さなところから一歩づつやってたからね。

WKS: 最後に、今後のWORKERSに期待することは?

KMD: 少しづつで良いので、規模を維持・拡大しながら長く続けてもらいたいね。うちもそれに応えられるよう、今後も是是非非で旧態依然にならず、常に新しいアイデアを持って頑張っていくから。

WKS: ありがとうございました!


私が7年半程勤めさせてもらい、今のところ唯一務めたカマダさん。今でもWORKERSの製品を作ってもらっています。良い事、つらかったこと、いろいろありますが、基本的にはやっぱり良い会社だったなと思います。何も知らない私を教育してくれて、給料くれて生活させてくれ。そして、独立した今でも協力してくれる。あまり、「かかわる人すべてに感謝!」とか私は言わないのです。恥ずかしいのもあるし、何か、あまりにそれを年がら年中言ってると嘘っぽくなるし。でも、こうやって過去を振り返って、今の自分の環境を考えると、現カマダ社長、前カマダ社長。もっと言えば、先代の会長がカマダさんって会社やっててくれたから私もこの世界に入れたし、今WORKERSが出来てるのです。そう考えると「会長良く縫製業はじめてくれたよな」としみじみ思って感謝するしかないのです。今は亡くなってしなったのですが、私が会社入った頃は健在で、一番最初に会長室で「君が好きな2万もするようなセルビッジジーンズ、最近はそういうのがうちの仕事の割合が増えている。でも、私が始めた頃は4800円、5800円といった物が主流だった。果たして、こういう高価格帯の製品が今後も流通していくものだろうか?」と、当時70超えていた会長に聞かれました。私は、「もちろん続くと思いますし、その価値をお客様にわかっていただけるよう広報していくことが必要です」的な事を答えましたが、心の中では「70過ぎの人が普通にセルビッジってさらっと出てくるこの地方ってやっぱり本場だな~」なんて喜んでいました。