「型」を学んで身に着けていないと「型破り」は出来ない。
「型」が無い状態でアレンジしてしまうと「形無し」になる。
という話です。
そう、この話です。これがなんと、洋服の話になるのです。 実川延若から習ったという乳房の榎は見たいのですが行けそうにない・・・ |
しっかり、踊りなり、古典なりの型・形を学んで身に着けた上で、それをどこを変えて、どこを守って「型を破っていくのか」と。
先日、博多座で見た芝居でも、なんてことない、人が暗い所で明かりをかざすシーンがあり、そこを踊り(いわゆる日本舞踊ってやつ)を子供のころからはやってないであろう人が演じてました。
演じるも何も、形が決まって柝が打たれて終わりってだけのシーンなのですが、それが何となく決まってないのです。
たぶん、腰が高いとか、足が上手く開けてない、柔軟性だとか、技術的に言えばいろいろ言えるのでしょうが私はただの見物なので「決まってない」としか感じられませんが、感じることは出来ます。
やっぱり、何事にも基礎、ベーシック、形、型、ルール。それは学んだうえで・・・なのだと思います。
服の話にこれを転ずると・・・私にとっては初期WORKERSで「レプリカ」的な服を作っていたのはとても良い「型」の勉強に成ったと今に成って思います。あれが土台、基礎を作ったというか。
たとえば、ジーンズの作り方を見せながら、でも自分でもそれが学ぶことになっていたり・・・
http://www.e-workers.net/store/old/24/p2.htm
http://www.e-workers.net/store/old/18/p1.htm
チノパン一本作るにしても、出来る限り資料を揃えて、読んで。単純に物そのものを見て真似るだけでは無く、そこにどういう意味があってこの仕様が出来上がったのか推測してみたり。
こういう、ベースがあるから今は、ある部分は守り、ある部分は仕様や型紙を変えながら、古典と同じようで現代の要素を取り入れた服を作れている!と信じています。
ベース無しに、その場その場で場当たり的に作ってたら、ある時はうまくいっても、ある時はダメ。挑戦しながらも、毎回、ある程度の結果は出していかないといけない。そのためには、やっぱり基礎が大事。
最近、自分でも何か理屈っぽいなぁと感じるのですが、それもまた、歌舞伎とは別にはまっているものがあるからです。これはまた次回。