出張続き/黙阿弥

8月納品予定製品、ご注文ありがとうございました。
早速、職だし。型紙、部品、生地等を揃え工場に送りだします。

5月は展示会集計や、その後の資金繰り表作成なども一段落したのでたびたび出張に出ていました。

色々な工場さん、他にもプリント物をやりたいのでイラストレーターさんなど。
どの方も初めてお会いする人たちなので、まずはご挨拶と、WORKERSがやりたい事。お話する相手様が出来る事。要するにコミュニケーション。

なので写真はありません。実際、WORKERSの何かをしてもらえる時にもう一度行って、その現場を確認しながら取材も出来ればしてこようと思います。


この取材というのも、いきなり行って「見せて見せて!」と言ったら気が悪いですよね。
うちなんか、隠す事もないので何でも取材してもらいますが(隠すとすれば頭の中にあるので見せようがないと言うか)殊に生産現場はノウハウがたくさんあるので見られる所、見られないところ。
見せてはくれるけれど、取材は出来ないところなど色々あるのです。




で、そんな出張中に見つけてしまいました・・・
通りがかった古本屋 前に積まれた脚本集。一日悩んでみたけれど、買わずにおけるか 河竹黙阿弥。

黙阿弥得意の七五調には及びませんが、そう、歌舞伎劇作者でも燦然と輝く(勝手に私の中で輝く)黙阿弥こと、三代河竹新七です。

弁天小僧とか、白波五人男と言えば知っている方も多いと思います。


稲瀬川勢揃いの場、一番右が弁天小僧です。あ.
Wikipedia 青砥稿花紅彩画より

元々、私が一番最初に見た演目が三人吉三で、これも黙阿弥。

黙阿弥自体、生まれは江戸ですが活躍したのは明治期。
江戸の世話物(庶民の生活を描いた物)が得意。ここに魅かれました。

自分が子供のころに見た江戸、それにたいする強烈な憧れ。でも、明治になればそれが徐々に無く成っていきます。
その無く成っていく江戸を黙阿弥はお芝居という形にする事で、美しく、また現代まで残してくれたわけです。

もし今の歌舞伎に黙阿弥の演目が無かったら・・・考えるだけで恐ろしい。たぶん、もっと伝統芸能然としていたように私は思います。


この「古いものへ憧れ、それが無く成っていく中で形にして残す」という部分。ここにシンパシーを感じるのです。
もちろん、私は黙阿弥のような素晴らしい物が残せるとは思えません。
あくまで、服というのは工業生産品です。

でも、黙阿弥がこの年でこの作品を書いたのだ、ならば同じ年の自分は・・・・とか。
最晩年にも今でも演じられる加賀鳶を作ったのか・・・とか年表を見ているだけでも身が引き締まる思いがするのです。

WORKERSが歌舞伎で黙阿弥でと、まったくつながらないようですが私の中では一本筋が通った話なのです。