会長のお話

会長 昭和7年1月生まれ!

現社長、会長さんの息子さんです。
さて、そんなSさんのお話です。
大正5年創業で創業100年、昔は着物の布を作られていたそうです。

ところが昭和18年、戦時中、金属供出があり織機が全部無くなりほぼ休止状態に。さらに、空襲もあり工場が焼け、戦後職布を再開するも、戦前の面影は遠く。

また、着物の需要自体が戦後は少なく、昭和29年ごろには地場の生地商社が相次いで倒産。織物産業がほとんど吹き飛んでしまったそうです。
会長が、家業に入ったのが戦後10年近く経ったちょうどその頃でした。

そこで会長は考えたそうです。「着物はダメだ・・・だったら・・・編地だ、ニットだ!」(この思い切りの良さ!)

Sさんは西東京にあります。その西東京の産地自体、着物織物がダメになり、さぁどうしよう・・・というので次なる地場産業として編み物に目を付けた。そこで、今も編み物の産地、墨田区から数人の職工さんに来てもらい、今でいう「技術移転」が行われたそうです。

そんなこともあり、会長24歳、昭和31年に編み物、当時は「メリヤス」と呼ばれた世界に飛びこまれたそうです。当然、最初はつてを頼って教えてもらいに行き丁稚から。当時は今のような自動編み機も無く、手横と呼ばれる、編み機を手で動かすところから。(今でも手横はわずかに技術・産業としては残っていますが)
セーターを作ったり、マフラーを作ったり・・・

その後、昭和40年、1965年に今のSさんが法人として開始。そこからもう50年。
手横から始まり、半自動編み機、丸編み機、さらには現代の島精機に代表される横編み機からホールガーメントまで、次々と設備投資をしてきたそうです。

WORKERSのニットタイに使っている丸編み機もそんな中で入れられた設備。会長は「たまたま丸編みのニットタイ作れない?って話があって設備を入れたんです」と言われますが、その思い切りの良さには本当に頭が下がります。
そして、その機械をずっとメンテナンスしながら使い続ける、物持ちの良さ。これがあったからこそ、私の作りたかった丸編みのニットタイが作れたのです。

その一方、今、工場の裏にずら~っと並んでいる最新機種達。いくつになっても、次々と設備を入れ、新しい物を作り続ける会長の意欲というか、元気さに私は感動しました。

工場に伺っても、うちのニットタイの話だけでなく
「舘野さん、それだけじゃなく、今年の流行なのかな?こんなものも作ってるんですよ!」
と次々と製品を見せてくれるのです。
これも、私に見せることですぐにどうこうしたいというのじゃなくて、せっかく来てくれたから私に何かアイデアを持って帰ってもらいたいという気持ちをすごく感じました。

「時々で、今年はこれはだめだな~、じゃぁこんなのはどうかな?って工夫するとそれが当たったり。」と、簡単に言われますが、60年やってきた人にしか言えない事だと思います。

う~ん、書いていて余りまとまりが無いのですが、何とも私は会長とお話ししてグッと来てしまいました。自分もこれからも長く、また会長のように思い切り良く、誰が来ても親切に対応するオープンな姿勢で仕事を続けていきたいなと、お会いするたびに思うのでした。